■かぞく and i 創業者・代表■沖縄県那覇市出身■沖縄・東京の二拠点で活動中■保育士7年+不動産営業7年+パパ歴7年■好きな食べ物:麻婆豆腐
学生時代から保育士を志し、新卒で晴れて保育士に。その後、結婚をキッカケに不動産業へ転職し、家族で東京へ。7年間不動産営業を経験。お金を稼ぎ、家族を幸せにするために転職したのに、仕事に追われ、家庭の時間が減り、結果的に離婚しました。
・妻は地元の沖縄から離れ、 東京で子ども3人をワンオペ・旦那はお金を稼いでくるが帰りが遅い
当時の僕たち夫婦に何が足りなかったのか考えた時、それは【時間】と【人に頼ること】だと気づきました。
ベビーシッターを利用すれば、夫婦でゆっくり話す時間や、妻が心に余裕を持つ時間を作れたかもしれません。
東京では頼れる人がおらず、問題を抱え込んでいましたが、人に頼る選択肢を知っていれば、課題に向き合えたかもしれません。
その想いで、沖縄県で個人のベビーシッターとして2020年より活動。クラウドファンディング、テレビ、ラジオ、新聞などの各種メディア。
子育て世帯・メディアを巻き込み、みんなで子育てしやすい社会を創っていこうという想いで活動・発信を行っています。
2020年シッターを始めた時は、誰にも相手にされない中【知ってもらう、利用してもらうための行動】をひたすらおこなってきました。
2020年から、ぼくはひたすら種まきをしてきました。
その結果…
独身30代男が暗い部屋で1人腰の痛みに叫んでいた。もう、かわいそうじゃない?笑
辛いことが山程ありましたが、コツコツ動き続けた結果。それが4〜5年の年月を経て、現在ぼくに返ってきています。
「しょうご先生だから」「真面目に継続して取り組んでいるから」
企業提携の話も、シッター定期依頼の話も【当時のぼくの活動を見ていた人からの紹介】です。
ぼくのコツコツ行動は、不動産営業時代から一貫しています。周りの営業マンはみんな辞めてしまうので、同僚も先輩も後輩もみんないなくなった。なので生き残ったぼくは最終的にマネージャーという役職につけました。
ベビーシッターも同じで、沖縄でもベビーシッターが増えましたが、辞めたシッターも山ほどいます。みんなしれっと違う職業になっています。
ぼくも正直、何度シッター辞めようと思ったか。シッターを初めてから今までの期間ほとんどくすぶっていたんです。何年も結果が出ていなかった。
人を信じることも出来なくて、任せることも出来なかった。なのでずっと1人で活動していました。
でも、仕組み化が出来たことでようやく開花し始めたんです。
言語化・仕組み化を進めて、覚悟を決めてようやく人に頼れるようになったので、本当に心が軽くなりました。
自分がやりたいこと・やらないといけないことに集中できる。ぼく以外でも良いのは他の人に振る。
その方が事業として本当に結果が出るのが早いと、心から実感し、同じ志を持ってついてきてくれるチームに感謝しながら活動しています。
生きていたら苦しい出来事もありますが、すべて経験。
保育士→不動産営業→離婚→ベビーシッター。すべて繋がっている。過去の経験をすべて伏線回収した結果、今があります。
あの日にコツコツ種まきしたから、自分にかえってきます。
『未来を切り開くキッカケになる話をしてほしい。カッコいい大人と出会ってほしい』ということで、ありがたく1時間話してきました。
「成功したよ!どや!ぼく凄いでしょ!」と威張る話より、「苦しいこともあったけど乗り越えた」という話のほうが、みんなに希望を与えると思いませんか?
離婚もギックリ腰も何度もぶっ倒れたけど、だから今がある。今が人生で1番楽しいと、胸を張ってスピーチしてきました。
2024年、シッター事業『かぞく&i』を設立しました。テーマは【家族の”やりたい”を叶える】
私たちのベビーシッター事業では家族一人ひとりの “やりたい”を大切にしています。
単なる子どもの預かりではなく、家族全員の笑顔と成長を支える存在でありたいと考えています。
そのために時間を作ることを目指しています。それが保護者の方の時間と心の余裕に繋がります。
親が仕事や趣味に集中している間、子ども達は保育士と一緒に過ごし、家族全員が笑顔になる。そんな好循環のための仕組み作りをしています。